フィンランドに来てからというもの、自分がよそ者ということもあり、他者との違いや日本との違いを発見するセンサーのようなものが、より一層敏感になっているのを日々感じます。
フィンランド人の妻と結婚してからも、未だに毎日のように両国の違いについての議論が止みません。
そんな身の回りの環境も相まって、25年もの間日本で培ってきた私なりの常識や価値観というものが良い意味で崩壊する日々を送っています。
今回は「違う」という当たり前のように聞こえるものの、実際に本当の意味で理解し体現するのはかなり難しい文言について、私なりの考えをシェアしたいと思います。
日本の常識は世界の非常識
皆さんご存じの通り日本はアジアの端っこにある島国です。
世界中の人に日本の場所を聞くと正確に答えられない人もたくさんいます。母国語である日本語も日本でしか話されていません。
世間一般的に上げられる日本特有のポジティブな文化としては
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礼儀正しく他者をリスペクト
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豊かな日本食
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温泉やアニメ・漫画文化
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綺麗で治安が良い
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車などのものづくり産業での評価が高い
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当たり前のようにルールを順守する
などがあり、挙げ続けるときりがないくらい日本の評価は世界的に見ても高いことを実感します。
しかし、それと同時にネガティブなイメージが存在することも当然であり
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長時間労働やサービス残業が美徳
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年齢社会
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本音を包み隠し空気を読む文化
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同調圧力が強い
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違うことを嫌う文化がある
といったイメージを持たれているのも事実です。
これらのポジティブ・ネガティブな面共に日本独特の文化や社会からきているもので、世界的に見ても日本はかなりユニークな国なのです。
違いがあって当たり前
当たり前ですがフィンランドでは色々な人種の人たちが共存しており、国境が面している国からは陸離での入国、難民も限定的ではあるが継続的に受け入れています。
そのため、国籍はもちろん髪の毛や肌の色、宗教や言語まで、違うことが本当の意味で当たり前なのです。
違うことに対して、「変な奴、ルールに従えない奴」という見られ方は基本的にされず、あくまで「自己表現の自由の元、他人に迷惑をかけてるわけではないので何の問題もない」
どのように自分を表現、マネジメントするかを幼少期から身をもって実験してるという言い方が私にはしっくりきます。
フィンランドには髪色や髪型に関する校則などは一切あるわけもなく、制服やネイル、化粧に関するものも一切ありません。
小学校の教師をしている妻に、
「当たり前だけどフィンランドの教育現場に容姿や服装に関するルールは存在していないのはなぜ?」
とそれとなく聞いてみたところ
「小学校を始めとする教育現場は社会に出る事前準備として、社会の仕組みや在り方を身をもって経験させる重要な場であり、実際社会の縮図であるべき。実際社会と異なることを小学校で経験させても将来に何も活きない。社会に出ると、皆同じ服装や髪形をして働くわけはなく、皆違う。数多くの厳しいルールで子供たちを縛り付けてしまうと、実際社会で最も重要とされる自ら考えて行動に移す力を育むことができない。」
ごもっともでした。
このようなトピックの際によく意見として上がる、
「制服がないことによって見た目に現れてしまう貧富の差問題をどう解決する?」
と聞いてみると
「解決する必要はない。解決しようがない。それが世界。それだけが理由でいじめなどの問題が始まるわけはない。いじめる側は何かしらの家庭環境や精神問題、人としての自信の無さなど、多くの要因が重なっていじめ問題を起こす。とにかく彼らは何かしらいじめる理由を見つける。実際社会に出ると貧富の差まみれ。幼少期からそんな社会に触れ、自分がどっちの立場になろうとも外見や生い立ちで人を判断するのではなく、平等に接することを当たり前とする必要がある。そのためにも、実際にいじめなどの問題が起きたときの先生側のアクションの仕方がものすごい大事になる。」
と語ってくれました。
最近、日本でも髪型や髪色、制服への厳しさというものが以前に比べると緩和傾向にあるとのニュースを目にしましたが、今後どうなっていくのでしょうか。
strange・weird ではなく unique で溢れるフィンランド社会
上記の英単語を日本語訳すると
「strange・weird」 は、変な・異質な・奇妙な・不気味な、などといった、少しネガティブな意味合いを持つことが多い
一方の「unique」 は、日本語のユニークと同じ意味合いで、唯一無二の・特有の・他にはない・珍しい、などのポジティブな意味合いを持つ
フィンランドで生活していると日本以上にstrange・weirdなものを見かける機会があります。しかし、それ以上にuniqueなもので溢れています。
これらの使い分けに関して私なりの定義のようなものはありませんが、結局は個人の感じ方、受け止め方次第かなと考えます。
妻と交際を始めた当初は、奇抜な見た目や個性のありすぎる容姿の人を見かけると、変わっている見た目だけという理由で真っ先にstrange・weirdと口走ってしまっていた自分がいました。
その都度妻に「彼らは何でstrange・weirdなの?uniqueじゃん」とたびたび言われてきました。
恐らく、日本であまり見かけない、私の中で勝手に作られた人としての容姿の常識内に彼らが当てはまっていなかったからだと思います。彼らは他人に迷惑をかけているわけでもなかったのに…
私の人としての未熟さがわかりやすく露呈したシーンでした。
妻や周囲の人たち、フィンランド社会の助けもあり、今では私の中でのuniqueの幅が圧倒的に広がっていることを感じています。これは、今後もフィンランドやいろいろな地で様々な人たちとの関係構築をする上で大きな経験となることでしょう。
まとめ
フィンランドでの生活に本当の意味で染まりつつある今、この「違う・異なる」ということに対してのポジティブな免疫が付き始めている実感があります。
かつては何も考えずに「変だ・見ているだけでなんか心地よくない」と感じていたことに対しても、今では「個性があるな・楽しそうだな・ユニークだな」と思えるようになっています。
他者と関わりを持ち続けている限り様々な違いを目にする機会があります。それらに対し何かと否定的な入りをするのではなく、一度呼吸をし、その光景のバックグラウンドなどを考えてみると違った視点が得られるかもしれません。
そして結果的には、物事の捉え方が楽になったり、他人と比べる必要性を感じなくなったりといった、ポジティブな心の変化を楽しめるかもしれません。
もちろん私もまだまだな人間なので、一丁前に大きなことは言えず、日々様々な感情や現実と戦っています。それでも、長い目で人生を考えたときにスローペースながら良い方向に進んでいることは実感しています。
今後も、違いを恐れず違いを楽しむ
自分のペースで新しい感情と現状に立ち向かっていきたいと思います。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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