日本から約8100km、リトアニアで掴んだ"夢と頂"【川内 陽一選手インタビュー|前編】

川内 陽一選手
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川内 陽一選手
川内 陽一選手◇生年月日:1998年8月2日◇ポジション:トップ下、ボランチ、ウイン...

2023年10月1日、リトアニアサッカー界の歴史が動いた。引き金を引いたのは、川内 陽一選手が所属するFKトランスインヴェストだ。

今季3部リーグから昇格したばかりの新生クラブは、リトアニアカップで次々と強豪を撃破。全ての年度で1部クラブが優勝を飾っていた国内カップを完全制覇した。

決勝戦では先制を許し、一度は苦境に立たされたものの、反撃に成功。値千金の同点弾を挙げ、逆転劇の口火を切ったのは川内選手だった。

サッカーに魅せられた九州男児は、いかにして「頂」に辿り着き、この先はどこへ向かうのだろうか。

川内選手note

サッカーに捧げた青春時代「3時近くに家を出る日々でした」

1998年8月2日、佐賀県嬉野市で3人兄弟の末っ子として生を受けた川内選手。空手や水泳など、幼少期からスポーツに親しむ日々を送った。

小学1年からは兄の影響もあり、サッカーに没頭。2人の背中を追い続け、中学時代はクラブチームではなく、部活動を選択した。

同じく、高校でも部活の道を選んだ川内選手。佐賀県の強豪、佐賀東高校への進学を決断し、3年次には10番&キャプテンとして、全国高校サッカー選手権に出場した。

「今サッカー選手として在るのは、精神的にも肉体的にも、その3年間のおかげです。

実家から通ってたんですけど、片道3時間弱ぐらいかかって。週に3回朝練もあって、それが6時半からだったので、3時近くに家を出たりする日々でした」

忙しなく過ぎ去る怒涛の日々。本格的にプロを意識し始めたのも、この頃だった。改めて高校時代を振り返ると、周囲の支えがあっての3年間だったと川内選手は語る。

「最寄り駅まで車で大体30分だったんですけど、朝早いと駅がやっていなくて、そこから始発に乗っても間に合わないので。1時間半かけて、別の駅まで車で送ってもらって、そこから電車で30~45分。駅から自転車で30分ぐらいって感じでした。

両親の朝も早かったですね。特にお母さんは、僕の弁当を作ったりで、かなり早かったと思います。

親だったり、周りの人への感謝っていう面でも、色んなものを学ばせてもらった3年間でした」

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