エージェント業務やサッカー留学をサポートする企業の増加もあり、徐々に身近なものとなりつつある”海外挑戦”。
日本で叶えられなかった”プロの夢”を手にするべく海を渡り、国際大会への出場や主要リーグへの移籍を狙う選手も増えている。一方、金銭面をはじめとした現実的な観点から、下部リーグ等で現役生活にピリオドを打つ選手も決して少なくはない。
「『プロになれない』って言われてきた人生やったんです」
フレンドリーな関西弁でそう話すのは、ポーランド1部所属のコロナ・キェルツェに在籍するMF永松 秀麻選手。海外挑戦7年目・28歳にして同クラブと契約を交わし、今季からはキャリア初となるヨーロッパ1部の舞台でプレーしている。
かのルーカス・ポドルスキをはじめとした錚々たるメンバーがしのぎを削る舞台に、いかにして辿り着いたのだろうか。
成長ホルモンの注射を打ちながら…
大阪府出身の永松選手は、小学2年からサッカーを始めると、中学生年代はガンバ大阪門真ジュニアユースに所属。1年次は主にAチームでプレーしていたものの、2年次からは身長の低さが理由となって下のカテゴリーに移り、関西大学北陽高校への進学を決断した。
高校入学時の身長は147cmほど。リオネル・メッシと同じく、成長ホルモンの注射を打ちながら日々を過ごしたが、”身長の壁”は消え去らず、スタメンの座を掴み取ることができないまま3年間が終了した。
生徒の多くは併設先の関西大学に進学するものの、大学入学後もサッカー部に入部する部員はゼロに近い。周囲の”上手い”選手たちも「本気でサッカーをするのは高校まで」と考えていた。そんな中、永松選手は関西大学体育会サッカー部への入部を決断。サッカーを始めた頃から変わらなかった”プロの夢”を見すえると、躊躇は無かった。
部内には、世代別代表歴を持つ選手や、Jクラブユース出身の選手なども多かったものの、1年生の全体育会学生1000人近くが集まる場では「トップチームで活躍して日本代表になる」と宣言し、自身の逃げ道を自らシャットアウト。”やるしかない状況”を作り出し、誰よりもグランドに足を運んでは、誰よりもボールを蹴り続けた。
努力の結果、4年次には念願のAチームに昇格。メンバーに定着するべく、練習中は声を出して雰囲気を作り、どんな状況でも貪欲にゴールを狙い続け、ついにはスタメンの座をも掴み取った。
スタメンを奪い奪われる日々を過ごしながらも、チームは関西学生リーグを4位で終え、全国への切符を獲得。全国大会を堂々の3位で終えるも、Jクラブから自身にオファーが届くことは無かった。