変わらなかった”プロ”への気持ち
母から勧められ、「人間的な成長のために」と考えて取り組んだ就職活動では、大手企業2社から内定を獲得したものの、常に”プロ”への気持ちは揺るがず、一切それを諦めるつもりはなかった。
「人生1度きり」
何度もこの言葉を自分に言い聞かせる中、次第に”海外”の選択肢が頭に浮かぶようになった。
「一発逆転するには海外しかない」
2年次に、大学のボランティアプロジェクトの一環としてタイに行った際に、海外への魅力を感じたこともあり、すぐに情報収集を開始した。
ラトビアでの2シーズン、優勝直後の契約破棄
初の海外挑戦に向けて試行錯誤を重ねる中、大学卒業後に練習参加していた社会人チームで出会った松本 光平選手に相談し、行き先にはラトビアを選択。永松選手が「この人ほどストイックで、サッカーが大好きな人を他に知らない」と話す松本選手からの助けを受け、トライアウトの末に、当時ラトビア2部所属のSKスーパーノヴァとの契約を勝ち取った。
晴れてスタートした海外での初シーズン。ピッチ外では、2段ベッドを2つ置いたワンルームで、ブラジル人選手3名と共同生活を送った。
「ずっと実家暮らしで、他人と住むことが初めてだったので、まずそのストレスがあったのと、ルームメイトが朝4時まで騒いで寝られないような環境だったので。今考えるとしんどかったかなって思うんですけど、最初の頃はそれが当たり前と思ってたので、その状況を楽しめてたかなと思いますね」
言語面を含め、日本国内との違いには多く直面したものの、環境には特に苦労なく適応した。
「英語って僕らずっと勉強してきてるから、単語とかは分かるじゃないですか。ただ聞き取りが難しくて、相手が何を言ってるか分からない時は、分かるまで『もう1回言って』って聞き返してました。
分からないなりに、自分から結構積極的に喋っていたので、そういうところで受け入れてくれたのかも知れないですね」
一方で、ピッチ内についてはー。
「まあ『レベル低!』って感じでしたね。大学4年間高いレベルの中で毎日やってて、当たり前の基準が結構高くなったと思うんですけど、意識低いし、レベル低いし『そうなんや』っていう感じで。
結果を出して、早く上に行きたかったので、もう毎試合モチベーション高く、得点とアシストだけにフォーカスしていましたね」
海外での初シーズンをSKスーパーノヴァで過ごすと、翌季からは同リーグ所属のFKトゥクムスに加入。年間ベストイレブンにも選出され、1部昇格に大きく貢献した。
「21~22試合で21得点17アシストを残して、結構結果を出せたと思うんですよ。(その成績があれば)多分他のリーグだと1部から声が掛かると思うんですけど、僕の肌感だと結構ビジネス感が強いと言うか、コネが無いと1部は無理な感覚で。
残り5試合の時点でリーグ優勝が決まったんですけど、その段階でフランス人3人と日本人の僕が契約を切られて。その時はエージェントもついていなかったので、どうすることもできず、契約破棄みたいな感じになって。
ただ、得点とアシストはいっぱい取ってたので、インスタで世界中のエージェントの方から連絡も貰っていて。その中で1番信用できるなって思ったポーランド人と連絡を取って、ポーランド4部に移籍することになりました」
“助っ人外国人”の立ち位置と言えど、優勝直後の契約破棄は、日本国内ではほとんど考えられないシチュエーション。クラブ側から申し出を受けた際に、ネガティブな感情は湧かなかったのだろうか。
「いや、無茶苦茶だと思いますよ(笑)
今思うと『もっと抗えたかな』って思うんですけど、何せ初めてのことだらけだったので『あ、そういう事もあるねんな』っていう感覚でしたね」