"2度目の挑戦"で掴んだモンテネグロ移籍、東欧から更なるステップアップへ【瀬長 直亮選手インタビュー】

瀬長 直亮選手
瀬長選手Instagram
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瀬長 直亮選手◇生年月日:1998年7月19日◇ポジション:攻撃的ミッドフィルダー、...

近年、活躍の場やステップアップを追い求め、活発化しつつある海外移籍。高校・大学卒業とともに国外へ渡るケースや海外クラブから国際大会への出場を目指すケースも増えている。

現在、FKイェゼロ(モンテネグロ1部所属)に在籍する瀬長 直亮選手は、中学・高校生年代を横浜FCアカデミーでプレー。専修大学卒業後は、国外へ活路を見出した。

日本から約9,000km離れた地で戦う瀬長選手に、現地での選手生活やモンテネグロから見据える今後のキャリアについて伺った。

横浜FCアカデミー

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「少し驚いたような昇格でした」横浜FC下部組織での6年間

 小学生の頃から横浜FCの選抜スクールに通い、中学からは同クラブのジュニアユースに昇格。

神奈川県屈指のクラブでプレーする中、中学生時代には成長期スポーツ障害の1つである「オスグッド」の壁に直面。3年間のうちの多くの試合でスタメンを逃し、一時はユース昇格も危ぶまれた。

「その時は『もう昇格できない』と思ってたので、他の進路を探していて。

もう静岡学園に電話して、セレクションを受けるか受けないか、ぐらいの話まで進んでたんですけど。

結局昇格することができて、自分でも少し驚いたような昇格でしたね」

ユースでは着々と出場機会を増やし、3年次の日本クラブユースサッカー選手権関東大会では、決勝戦で横浜F・マリノスユースとのダービーを制し、優勝を経験。

全国大会では、クラブにとって3年ぶりとなるベスト8進出に貢献した。

「1年次は試合に絡んでないんですけど、2年次からは3年生の公式戦にスタメンで出る機会が増えて、3年次には全国大会ベスト8という結果を残せたので。

中学時代に比べれば、すごい充実した3年間だったなと思います」

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