【内山竣太選手 寄稿】2024年シーズンも頑張ります

3月の終わり、北欧のフィンランドでも雪解けが進み、外でサッカーができるようになってきたこの時期に今年初めてのnoteです。

幼少期から続けてきたサッカーも気づけば20年以上になります。幼少期からの振り返りを物凄く簡単にしてから、今年も沢山の人のサポートのもと、サッカーできることは当たり前じゃないぞ。というのを忘れないために文章を書きました。

幼少期〜現在の超簡単な振り返り

私を含めた内山家の子供達は幼少期から当たり前のようにサッカーをしていました。父がサッカーを本格的にしていたこと、近所のお兄ちゃん達も皆サッカーをしていたこと。それらが大きな理由となり何も迷うことなくサッカーにのめり込んでいました。

幼稚園の卒園アルバム、小学校の卒業アルバムには当たり前のように、何も迷うことなくプロサッカー選手になると書いていました。

日本代表の試合をテレビで見ることはもちろん、
まだDAZNやyoutubeも無いこの時代は、週末にBSチャンネルでのJリーグ中継→Jリーグタイムを見る。
このルーティンが最もテレビに対して興奮していたのを覚えています。

中学のクラブチーム、高校の部活でも地域の中では練習がとても厳しいと有名なチームでしたが、練習のない日も当たり前のように練習をしていました。

「プロサッカー選手」になるというブレない信念の元練習に励んでいたかと言われれば少し違い、その瞬間その瞬間に全力でぶつかり、少しでも上手くなりたい強くなりたいと言う気持ちでサッカーをしてました。

自分より能力のある先輩達が当たり前のように大学へ進学してるのを見て、高卒でプロになりたいという考えは一切浮かびませんでした。

当たり前のように大学サッカーへ行くと、ここにも自分より能力の高い人たちが沢山いました。

1年生の途中から学生リーグに出場するようになってから、実際に対戦した選手達がJリーガーになるのを見て、この頃になってようやく明確にプロサッカー選手になりサッカーで生計を立てれるようになりたい。ならなければいけないと思うようになってきました。

それでも現実は甘くなく、自分の実力不足や怪我もあり大学卒業後は2年間日本の県リーグのチームに所属することになります。

それでもこの2年間の様々な経験、出会い、挫折などが間違いなく私を突き動かす原動力になっています。

6〜9時と11:30〜18:30時でアルバイトをしてから、
19:30〜21時でサッカーをする生活を半年くらい経験できたり、日雇いバイトに出かける日々を送っていました。

もちろん四六時中ポジティブでいられるほど私は強くありませんでした。それでも一生この生活を続ける訳はなく、今の踏ん張り次第でこの先のサッカーでのキャリア、人として私の理想とするものに近づけるだろうというモチベーションのもと2021年まで日本で過ごしました。

結果的にこの2021年の所属チームが私にとっては転機となり、2022年以降フィンランドでサッカーをすることになりました。

2022年はサッカーでプロ契約、生計を立てること。英語に触れたいという2つを掲げフィンランドに来ましたが、トライアウトチームの手配が行われず、結果的に清掃員として働きながらのプレーになりました。

サッカーでシーズン中の生計を立てれるようになったのは去年の2023年からです。それも給料が支払われるのはシーズン中のみだったので、オフシーズンは日本でアルバイトをしていました。

今年2024年は契約更新という形で迎える現チームでの2シーズン目になります。去年、長い期間怪我を抱えていましたが、要所では結果を残すことができ、チームの昇格とともに、契約内容も去年より良い待遇を掴むことができています。

そして現在、4月13日のリーグ開幕に向けて準備をしています。

現在までサッカーに拘る訳

ここからはなぜ私が新卒ブランドを捨て、何年も遠回りをしてまでプロサッカー選手になる事に拘ったのか、そして今だにその地位に拘っている理由をお話しします。

それは私のサッカー人生を目に見えるものとして残したいからです。

これを聞いて納得する人はいないと思います。
僕もそのうちの1人です。

それにも関わらず、なぜこう表すのか
それは、これ以外の言葉が今の僕の中に見つからないからです。

幼少期から当たり前のようにサッカーに没頭して、それを軸に高校や大学、現在までの生き方を選択してきました。

ほとんどの人達は、その途中で他に情熱を燃やせるもの、自分の能力を発揮できる他の舞台、を見つけてキャリア転換していきました。中には苦渋の決断をし見切りをつけた選手もいるでしょう。

私の場合、幸いな事に家族全員で私のキャリアを応援してくれています。サッカーを通じて出会ってきた仲間でも、自分ごとの様に応援してくれてる仲間もいます。地元の友達もいます。

そんな彼らの期待や願いを裏切るような終わり方を当然選べません。

彼らに胸を張り私が示せるものがサッカーでした。
最も分かりやすく私も納得出来るものがプロサッカー選手になる事でした。

誤解を恐れずにいうと
私の中で常に抱えてた葛藤として、
「プロサッカー選手になれなければ数十年後に振り返った時に、自分のサッカーキャリアが消えてなかった事になってしまうのではないか」
という不安がずっとありました。

もちろん大前提、私自身もサッカーをしている時が今の所1番幸せを感じるので、彼らの想いと私の想いがマッチする1番有効な手段なのです。

それを成し遂げた今、私には別の目標があります。

この目標は年末年始に地元の友達と会った時に、彼らとの会話の中で生まれたものです。

プロサッカー選手になる事よりも私にとっては難しいと思います。
ここでは公言しませんが、それに向けて愚直に前進し続けます。

いつ終わりを迎えるかわからないサッカーでのキャリア。明日、もし大怪我をしたら今日が最後のサッカーになります。外国人選手なので、突然の契約破棄もあり得る話です。

常に自分にベクトルを向け、日々の小さな幸せや喜びを噛み締めます。

いつになるかわからない引退の日に笑って終われる様に、サッカーを楽しみます。

最後まで読んで頂きありがとうございました!
2024年シーズンも応援よろしくお願いいたします🙇

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