「サッカー人生の中で大切な3年間」全国とは無縁の四中工時代
「本格的にサッカーを始めたのは、幼稚園の頃ですね」
ご両親曰く、物心がつく前からサッカーボールを持って離さなかったという渡辺選手。幼稚園で開催されていたサッカー教室がキッカケとなり、次第にサッカーへのめり込んだ。
小学生時代には、各地域の優秀選手が選抜されるナショナルトレセンへの選出も経験。中学卒業後は「高卒プロ」を志し、地元三重県の強豪、四日市中央工業高校へ進学した。
「高校に入る前は、1年から試合に出て活躍して、もう卒業後にはプロに行くっていうプランを自分の中で立てていて。
いざ入学してみると、中学とは全然レベルが違って、中々うまくいかず。
選手権の時は、一応トップチームに居させてもらっていたんですけど、紅白戦で足を骨折して、そのまま手術を受けることになってしまって。そこから半年ぐらいはサッカーができない状態で…」
時は流れ、再びピッチに戻ったのは2年次の夏頃。長きに渡るブランクから、本調子とは程遠い日々が続いた。
「トップチームに居させてもらったんですけど、2年生でも試合には全然絡めず。選手権ではベンチに入らさせてもらったんですけど、ずっと試合には出ず。
県予選の準決勝で負ける時も、ベンチから試合を見ていました」
「1~2年生と、自分の思い描いてた高校生活ではなくて、すごい悔しくて。3年生になって、副キャプテンということもあり、覚悟を持ってラスト1年取り組もうと思って。
ただ、試合には絡ませてもらってたんですけど、県総体でも負けてしまい、選手権でも県予選決勝で負けてしまって。
結果は全然ついてこなかったですけど、今のサッカー人生の中ですごく大切な3年間だったんじゃないかなって、改めて感じます」
一度も全国の舞台を経験することなく、幕を閉じた高校3年間。しかし、それ以上に得るものも多かったようだ。