V神戸下部から”異国の地”ラトビアへ「上を目指せるからココに来た」【五味 郁登選手インタビュー|前編】

五味 郁登選手
五味選手Instagram

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早々から決意した「プロ一本」の道、コロナ渦で掴んだ「海外移籍」

スーパークラス内でも評価を手にし、中学進学前にはU-15への昇格が決定。その後もU-18への入団を果たし、トップへの階段を登り続けた。しかし、道中では葛藤もあったという。

「ジュニアユース昇格のお話を頂いたとき、実は膝が悪くて、サッカーを辞めるか悩んでいました。また、ジュニアユースは部活に比べて”習い事”に近い側面もあって、親への金銭的な負担も増えるので…。でも、やるからには”高卒プロ”を目指すことにしました」

早々に大学進学の選択肢を切り捨てた五味選手は、高校卒業後の進路をJ1・J2クラブ、もしくは「海外」に絞った。「サッカーをしている身としては、ずっと”海外”は憧れで。高校に入ったあたりから本格的に意識するようになりました」

迎えた高校3年時、国外でプレーする知人から海外挑戦の話が舞い込んだ。しかし、チャンスがやって来たのは、奇しくもコロナ渦の真っ最中。

「本当は2020年の夏にトライアウトを受けて、冬に正式入団の予定でしたが、コロナで計画が頓挫してしまって…。当初とはプランを変えて、J3やJFLのクラブにも練習参加させて頂きました」

日本国内で複数のクラブに足を運ぶ中、実際に内定を提示するクラブもいくつか現れた。ただし、金銭面や契約年数などを考えると「リスクがある」ように感じた。

「それだけリスクがあるなら、やっぱり”海外”に行ってしまった方が得られるものがあるのかなと」

中でも憂慮したのは、先々のキャリアの面だ。

「国内で下積み・活躍してから海外へ移籍するケースもありますが、日本でのプレー経験と外国でのプレー経験の”差”が大きくなると、いざ海外へ挑戦したときに”ギャップにやられる”とよく耳にして。なら、若いうちから海外で経験を積んで、その”ギャップ”を埋めたいなと。無理やりではありましたが、冬に”一発勝負”で海外へ向かうことに決めました」

他国からの「見られ方」やそれに伴うステップアップ、プレー経験の積みやすさなどから、行先にはラトビアを選択。日々自らの中で考えを消化し続けた結果、デメリットよりもメリットが上回った。

照準は定まったものの、ここでも立ちはだかったのは「パンデミック」の壁。日本からの出国制限や外国への入国制限、クラブ側の受け入れ体制などから、冬の時点では海外移籍に関する話の規模がかなり縮小した。

「クラブから国へ正式レターを作成する必要などもあって、獲得するか分からない”未知の選手”にクラブ側が手間を掛けてくれるケースは稀でした。そんな中でも1~2クラブが名乗りを上げてくれたので、そこにトライアウトさせて頂くことにしました」

これで無理なら「プロを諦める」気概で臨んだ大一番。出国制限によって飛行機が飛ばないアクシデントにも見舞われたが、見事にFKメタ(ラトビア1部所属)への加入を勝ち獲った。

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