掲げ続けた”全国”の目標
兵庫県出身の濱選手は、高校生年代を県立西宮高校でプレー。
3年次には、公立校ながらインターハイ県予選決勝に駒を進めるも、全国の舞台を経験することなく高校サッカーの幕を閉じた。
翌年には1年間の浪人生活を経験し、一般入試を経て高知大学へ進学。浪人期間中も「全国」への想いを常に抱き続けた。
「小・中・高とサッカーやってきて、一度も全国大会を経験することができなくて。
『どうしても出たいな』っていう気持ちもあったし、プロになるにはどうしたらいいか考えたときに、『全国に出て活躍するしかないな』と感じていたので。
自分の目標を見越したときに、”必ず出ないといけない大会”だと思ってたので、気持ちは変わらなかったです」
選手にとっての「全国経験」は、以降のキャリアを左右し得る要素となる。
「全国に出てなくてもプロになってる人もいるとは思うんですけど。
自分のような名前の知られていない選手にとっては、やっぱり大事な”キーポイント”になるところだと思いますね」
高知大学では、浪人中のブランクや10kg近くの増量を抱えつつ、体育会サッカー部での日々をスタートした。
「高知大学は”古豪”というか、伝統がある大学で、それを聞きつけて全国から集まって来る集団ではあったので、簡単には試合に出れなくて。セレクションは無いんですけど、A~Dチームまであって。
あとは増量してしまったので、まずは体を動かせるところに戻すことがスタートでした。
4月から入部して、大体2~3ヶ月で高校の頃の体重に戻した感じですね」
3・4年次には、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントに出場し、目標に掲げていた「全国の舞台」を経験。
4年次には、大所帯の主将も務め上げた。
「雰囲気的にも、僕がやるかやらないか、みたいなところがあったので。
自分ではキャプテン向きではないと思ってたんですけど、他の人に任せるより自分がやった方がいいなと思ったし、色んな人に相談した結果、成長できるはずだと思ったので、立候補しました」
「目指してたものはJリーガーだったので、達成はできなかったですけど、それ以上に周りの仲間とか指導者とか、色んな人に支えられながら挑戦できた4年間だったなと感じます」