二度目のクラブW杯にJリーグへの挑戦、失明危機乗り越え「全部目標を達成したい」【松本 光平選手インタビュー|前編】

松本 光平選手

松本 光平選手

「いつかまたハミルトンでプレーしたかった」馴染みのクラブへ電撃加入

今年3月にデウソン神戸を退団した後、ニュージーランドの数クラブとの交渉が行われた。協議の末、新天地に決定したのは、かつて所属したハミルトン・ワンダラーズだった。

「僕が目を怪我したときはハミルトンにいて。手術で日本に帰るときには『いつか帰って来い』『目が見えなかったとしても、お前は俺たちの家族だから』っていう風に言ってくれました。

その後もずっと気に掛けてくれたので、いつかまたハミルトンでプレーしたいなと思っていて。それをこのタイミングで実現できたことは良かったです」

愛着あるクラブへの復帰が決定したものの、待ち受けていたのはビザの壁。

「5月くらいには行く予定だったんですけど、全然ビザが下りなくて。2カ月経っても下りないので、アドバイザーにも依頼して。この夏にやっとビザが下りました」

スタートには出遅れてしまったが、その後の展開は目まぐるしかった。

「8月2日に日本を発って、3日に着いて。その日からチーム練習に合流しました。4日の練習が終わった時点で翌日のメンバーが発表されたんですけど、僕はそこに入っていなくて。

着いて2日目だし、U-23チームの試合もあって、メンバーに入っていないトップチームの選手が3人まで出れるので『とりあえずU-23で出ろ。良かったら次の週ベンチに入れるか考える』っていう風に言われました」

同じく相手もU-23チームではあったものの、試合では早くもフル出場を達成。しっかりとプレーできた手応えを掴み、すぐさま照準を翌週の試合へ切り替えた。

そんな中、監督から松本選手に声が掛かる。

「『この後のトップの試合でベンチに入れ』って急に言われて。僕としても全然準備していなかったというか、90分間プレーし終わった後だったので。

さすがに試合には出ないだろうし『(来週に備えて)ベンチで試合を見とけ』っていうメッセージだと思いました」

試合中は、文字通りベンチからピッチを見ていた松本選手。しかし、またしても指揮官から名前を呼ばれた。

「後半の割と早いタイミングで急に『行くぞ』って言われて。チーム戦術も全く分からない状況で、いきなり試合に入ってしまったような感じでした。

だから、3年半ぶりにピッチに立ったときに感慨深い思いがこみ上げて来たかと言われたら、全くそんなのを気にする暇もなくて。何の感傷に浸る間もなかったですね」

日本では見られないであろうドタバタ劇で、約3年半越しの「復帰戦」は幕を閉じた。

タイトルとURLをコピーしました