社会人サッカー経てラトビアへ、車内で決まったモンゴル移籍【鈴木 章弘選手インタビュー|前編】

鈴木 章弘選手
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鈴木 章弘選手
鈴木 章弘選手◇生年月日:1994年12月14日◇ポジション:攻撃的ミッドフィルダー...

今年1月に開幕し、2月に行われた決勝戦をもって幕を閉じたAFCアジアカップ。

日本代表は、準優勝を飾った前回大会とは打って変わって、準々決勝でイランに敗北。「アジア全体のレベルアップ」を感じた人も多いのではないだろうか。

様々な国が大会にインパクトを残す中、今大会で5度目の出場を果たしたインドネシアは初のベスト16進出を達成。近年は、国内のサッカー人気の高さからも注目を集めている。

同国内では多くの日本人選手がプレーしており、そのうちの一人である鈴木 章弘選手は、昨年7月にFCベカシ・シティへ移籍加入。

自身3カ国目となるインドネシアでのシーズンを終えた鈴木選手に、現在に至るまでのキャリアや今後の展望を伺った。

明治学院大学から社会人サッカー、そして海外挑戦へ

―明治学院大学を卒業した2017年からは横浜GSFCコブラに所属し、関東リーグおよび神奈川県リーグでプレー。2019年にはラトビアへ渡り、AFAオライネ(当時3部リーグ所属)に移籍しました。

海外へ移籍するタイミングとしては、大学あるいは高校卒業時が多いかと思いますが、大卒後に一度「社会人サッカー」を選択した経緯は?

 「大学を卒業してからは普通に社会人として働いていて、ありがたいことに結構忙しい会社に入社させて頂いたので夏明けにちょっと体調崩したり、色々ありまして。

『だったら本気でサッカーやってみようかな』と思っていた中で、当時明治学院のコーチをされてた方が、横浜GSFCコブラに入っていたので、誘ってもらって。

『社会人でちょっとサッカー続けられたら』という感覚で入りました」

―卒業時には、まだプロを明確に意識していなかったですか?

 「全然していなかったですね。もちろん大学サッカー部にいた時に、Jクラブとも練習試合をさせてもらうことがあって、その中で『目指したいな』っていう思いは、個人的には抱いてました。

 ただ、4年生の頭ですかね。膝を怪我して、チームのレベルが上がってきたのもあって、試合に出れなくなっちゃって。

 その思いがだんだん消えていってたんですけど、社会人リーグに入ってから、色んな元Jリーガーの方と一緒にプレーして、それで『もう1回やってみたいな』と」

―AFAオライネへの加入は、どのように実現したのでしょうか?

「大学の後輩に、ラトビアに繋いでもらって、入団したという形です。

1回タイにもトライアウトへ行ったんですけど、中々良いチームには巡り合えず。決まりそうなチームもあったんですけど、スポンサーがいないチームだったり『実際運営できてるのかな』っていうようなチームがあったので、断らせて頂いて。

その中で、後輩からたまたま連絡を頂いて、ラトビアに繋いでもらった感じです」

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