大ケガに涙した2023年、苦境超えてACLの舞台へ「ゴールで価値を証明したい」【田中 幸大選手インタビュー|後編】

田中 幸大選手
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大ケガに涙した2023年、苦境超えてACLの舞台へ「ゴールで価値を証明したい」【田中 幸大選手インタビュー|前編】
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セーラーズ移籍の決め手は”ACLへの出場権”

前述の活躍もあり、翌シーズンに向けたオファーも複数届いた。大学4年次には「選ばれない」悔しさを味わった田中選手だったが、ゴールで自らの力を証明し続け、いつしか「選ぶ側」に身を置くようになった。

「ありがたいことに色々な選択肢を貰った中で、ライオン・シティ・セーラーズを選んだ理由なんですけど、まずは”ビッグクラブ”であること。

シンガポールの中でもお金も持っていますし、施設もしっかりしていて、スタッフも多いです。ミーティングルームとかもめちゃめちゃあるし、ジムも結構良い器具揃ってますし。

僕も全部知ってる訳じゃないですけど、話を聞くと国内では相当ズバ抜けてると思います」

ただし、それ以上に重視したことは、冒頭で述べた「ACL」への出場権だった。

「環境面での憧れがすごくあったのは確かなんですけど、それ以上に、セーラーズがACLに出るということで。

何て言うんですかね、僕はちょっと性格的にひん曲がっているので、敷かれたレールにそのまま行くのがすごい嫌なんですよね。『人と違う道を進みたい』というか」

本人も話す通り、大卒2年目でのACL出場は、そう多くはないケース。ましてや国外クラブからの出場は、かなり稀と言っても過言ではないだろう。

「遠回りのように見えても意外と近道だったりするかも知れないし。『ここからでもココに行けるんだぞ』っていう道を後の人たちにも作ってあげたいし。そういう意味で”夢”を与えたいのもあって。

中々無い経験ができることは、僕の中での大きな決め手でした」

一方で、昨季シンガポール国内で最もネットを揺らしたアタッカーに対して、日本のクラブも名乗りを上げないはずがない。実際に日本をはじめ、他の国々からオファーを受けることもあったと田中選手は語る。

ただし、自らの中には選択の「軸」が存在したようだ。

「今日本でやる選択肢は、あんまり自分の中に無くて。

もう最初の段階で、代理人の方にも『日本に興味がない』ことは言わせて頂いて。

将来的には、30歳近くになったら日本でやってみたい思いもあります。もちろん繋がりもあるので、お世話になった方が欲しいと言ってくれたら、『その人とやりたい』と思ったら、行くことがあるかも知れないですけど。

ただ基本、僕は『見返したい』気持ちが強いので。海外で成功して、日本のクラブを倒してっていうのが僕の中でのモチベーションなので。

他の国から良い条件で(オファーを)貰うこともありましたけど、やっぱりACLに出れるのは僕の中で魅力的だったので、セーラーズを選びました」

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