「どっちを勉強したら…」言語面の課題は”地域特有”
―日本人選手との違いなど、実際にラトビアでプレーする中で感じたものはありますか?
「体は本当に大きいですし、僕が在籍してた当時から結構色んな人に話してたのは、本当に”軍隊”みたいな選手が多いです。
もう本当に180cm超えてる選手で、体もすごい大きかったりとか。でも、その分横に動けないっていう風な選手が多かったです」
―ラトビア語が公用語ということもあり、ピッチ外での苦労を感じることも多かったのでは?
「やっぱり1番苦労したのは言語の部分ですかね。
2年目から居たチームは、本当にロシアから20km程しか離れてないような地域で、もともと旧ソ連の地域なので、ご年配になるとそうですけど、僕らのお父さん世代とかに関しても、ロシア語を喋る方が本当に多くて。
けど、若い子はラトビア語も喋るし、実際チームの中で喋ってる言葉はロシア語だし『どっちを勉強したらいいんだろう』っていう部分もありつつ。
でも、みんな英語が喋れたので、英語でコミュニケーションを取ってもらいましたけど、生活環境に関しては『言葉をどうしよう』っていう部分がすごい大きかったですね。
食事に関しては、チームが3食全部用意してくれてたので、自炊とかも特にすることは無く、決まった時間に行けば提供してもらえていました」
移籍市場と登録期間、コロナ禍の契約更新
―2020年にはレゼクネスFAへ移籍し、国内2部から3部へのステップアップを果たしました。
「(1年目に)オライネに入る前、元々レゼクネのトライアウトに参加させてもらって。トライアウトというか、練習参加の形だったんですけど。
それが移籍マーケットギリギリのタイミングだったので、選手登録が間に合わなくて、チームの方から『来シーズン来てくれ』と言ってもらえていて。
トライアウトに行ったのが8月の後半ぐらいだったんですけど、『せっかくラトビアに来たから何かしたいな』っていう想いがあったので。
その時お世話になっていた日本人の方が、色んな外国人を連れて来て練習するチームを持っていて、それがオライネと提携してるような形だったので、『オライネの方でプレーさせてもらえないか』とお願いをして。
シーズンも残り2~3ヶ月ぐらいだったので『ちょうどいいんじゃない?』ということで、オライネに入団させてもらって、その次の年からレゼクネに加入しました」
―レゼクネスFAに加入した2020シーズンは、かなり新型コロナの影響を受けたのではないでしょうか?
「レゼクネの1年目もそうなんですけど、2年目の方が特に影響があったなと個人的に思っていて。
1年目は、コロナで10月の半ばぐらいにリーグが打ち切りになったんですね。
そのまま『ちょっと不完全燃焼だな』という想いを抱きつつ、帰国せざるを得ない状況だったので、帰国させて頂いて。
その後モンゴルのチームに縁があって、加入が決まってはいたんですけど、モンゴルもロックダウンだったので国内に入れない、リーグもいつやるか分かんないっていうことで。
日本でどうしようか考えてた時に、ちょうどレゼクネの監督から『これからリーグが始まるよ』と7月ぐらいに声を掛けてもらって。
そこからモンゴルのチームとも話して、そのまま契約を解除してもらって、レゼクネと2シーズン目の契約をさせて頂きました。
当時はホテルでルームシェアしてたんですけど、一緒にいたガーナ人がコロナになってしまって『あ、やばい。僕もコロナなったかな』と思ったり。監督がコロナになって、隔離されてるから練習を見に来れないとか、色々ありつつ。
レストランも中では食べれなくて、毎回テイクアウトしてホテルで食べるっていうような生活だったので。1年目と変わった部分は多かったですね。
ロックダウンは首都のリガだけということもあって、レゼクネは外れている地域だったので、ロックダウンに関しては緩かったかなと思います。
街と言っても本当にスーパーが何個かあるぐらいですけど、街でお買い物してる一般の方とかも少なくなってるなとは思いました。でも、別にお店に入れないとか、そこまで厳しくはなかったので。比較的緩い地域には居れたかなと思います」